用户:Yaliu/白濑号 (破冰船)
Yaliu/白濑号 | |
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概观 | |
舰名出处 | 白濑号 |
母港 | 横须贺 |
舰级 | 白濑型破冰船 |
前型 | 富士型破冰船 |
次型 | 白濑型破冰船(2代) |
制造厂 | 日本钢管鹤见 |
下订 | 昭和54年度计划舰 |
动工 | 1981年3月5日 |
下水 | 1981年12月11日 |
服役 | 1982年11月12日 |
退役 | 2008年7月30日 |
技术数据 | |
排水量 | 标准:11,600吨 / 满载:18,900吨 |
全长 | 134.0m |
全宽 | 28.0m |
吃水 | 9.2m |
动力方式 |
动力柴油引擎x6座
主电动机×6座
推进器×3具功率30,000PS最高速度19节续航距离25,000海里(15节)乘员170名 / 队员60名武器装备食品 50吨・燃料 350吨・其他物资 600吨电子设备ディーゼルエンジン×6基
主电动机×6基
推进器×3轴舰载机直升机×3架其它于2010年5月2日起在千叶县船桥港开放一般公开参观。白濑号(JMSDF AGB SHIRASE(first) class)是文部科学省的第三艘南极观测船。现为气象观测船SHIRASE。
舰号为AGB-5002。由南极地域观测队使用于南极观测任务。是昭和时期建造的最大吨位自卫舰,也是第一艘标准排水量超过一万吨的自卫舰。作为海上自卫队所使用的最大型船舰,直到摩周型补给舰竣工为止。
概述
[编辑]白濑号是具有以三节船速连续突破1.5米厚度冰层的能力的破冰船。乘员全部由海上自卫官出任。船舰为文部科学省的国立极地研究所所有。所属单位为横须贺地方队。母港位于横须贺。
它拥有破冰船特有的宽船体与一管烟囱。冰海监视用的船桅观测站。前后甲板各有两具运卸货物用的起重机。并且是舰体尾部设有直升机甲板与机库的大型直升机运输舰。由于第二次越冬队时的“太郎与次郎的悲剧”,原先从前型观测船富士继承的运输用S-61A-1 两机[脚注 1]以及小型侦查直升机贝尔47G 一机配置(此配置延续自“宗谷”、“富士”。),在1987年随着同型机种自海上自卫队消失,便在1993年引入OH-6D 衣架作为后继机种。[1]。
为了冰海航行方便,因此白濑号没有装备一般船舰常见的船舶减摇装置(抑制横向摇晃,而装备在船底两侧面的鳍。),为此当它在远洋航行,特别是遇到风雨时的摇晃程度会比一般船舰更为剧烈。由于有这样的缺点,虽然乘组员是海上自卫队或许还好,然而那些未习惯船舰特性的观测队员总是会受严重晕船所苦。在白濑号于2001年的航海任务中,在通过暴风圈时曾出现左倾53度、右倾41度的倾斜纪录。至今在海上自卫队的摇晃纪录中仍有如此纪录。
船上清楚区分出乘组员居住区、观测队员居住区、厨房。观测队员起居室通常是两人房,观测队长室和副队长室为单人房。此外还有四人的随行人员起居室、研究室、无线电探空设备室。舰上另外备有预防海盗袭击的自动步枪。
推进方式采取电动推进(柴电动力),以三井造船制造的六具柴油引擎,采取交流同步发电机驱动,透过闸流体将交流电整流为直流电来抑制出力电压(Static Leonard system),驱动富士电机制的六具直流电动机,轴出力可达30,000马力。三轴的推进轴各与两座电动机直列连结,远洋航行时使用三具电动机,破冰航行时使用全部六具发电机。船内电源是由另外设置的四具柴油发电机供应。
此外,建造费苏然由文部省(现在的文部科学省)支出预算,设计、下订及使用则是由防卫厅(现在的防卫省)执行。[2]。该舰的主要任务是载运观测队员与物资的运送,此外也搭载观测机器执行南极观测活动。后者也为白濑号退役后被气象新闻公司收购的其一原因。(详细请参照后述。)
白濑号在每年十一月中旬,由东京港晴海埠头出海,在澳大利亚・弗里曼特尔港停泊休憩一周以后,接着会在南半球12月末入夏期间抵达昭和基地[3]。
1983年(昭和58年)的第25次队以至于第49次队为止,白濑号共实施25次南极観测运输支援任务,累计行动日数达 3,803日、总航程 1,006,562km、运输人员 1,498人、运输物资量达约 23,900吨。当“白濑号”面对厚约1.5m以上的冰层时,需要先将船舰后退200-300m,再以最大马力前进,以船体从上方压破进行碎冰,而这样子的charging动作执行次数亦累积达36,650次。
舰名的由来
[编辑]本舰在建造计划阶段暂定为“54AGB”,后与前型观测船“富士”一样举行一般公墓,并且依照以下的缘由决定舰名。[4]。
- 1980年5月30日、第14届“南极运送问题调查会议”上提议讨论舰名问题。
- 1980年6月25日、第69届“南极地域観测统合推进本部总会”上决定公募方针,同时承诺设置船名选考委员会。
- 1980年11月22日至12月24日止,举行船名的一般公募,公幕数量为62275件(无效件数为872件)。
- 1981年2月26日、第1届“船名选考委员会”上检讨选考方针,从前30位以内选出“极光”、“瑞穂”、“白瀬]3个候补。
- 1981年3月16日、第2届“船名选考委员会”上从候补名称“极光”、“瑞穂”、“白瀬”中,选出白瀬为船定名、并且在23日的新闻公开发表。
- 1981年12月11日、防卫厅在进水命名式定名为“白濑号(しらせ)”。
经一般公募获得的名称数排行为以下顺序。第1名“樱”、第2名“大和”、第3名“昭和”、第4名“极光”、第5名“朝日”、第6名“瑞穂”、第7名“时空”、第15名“白濑”。
防卫厅在尊重应募的前提下排除公募第2位“大和”,并且向船名选考委员会提出前30名候补名称。防卫厅的排除理由是指公募第2名“大和”因为有旧地国海军战舰大和号的强烈印象,不适合破冰舰,因此将会留用于日后建造的新型舰的船名使用。
最终,尽管已决定新破冰船船名为“白濑”,但是当时防卫厅对海上自卫队的船舰命名规定是“在名胜古迹中,主要以山名所定”,遂无法以日本初代南极探险队队长白瀬矗中尉姓名定名。在检讨过后,才决定以昭和基地附近,原先用来彰显白濑中尉的功绩而命名的广大冰河“白瀬冰河”为船舰定名,防卫厅规定也因此改为“在名胜古迹中,主要以山名或冰河名所定”,由此演变为可以以“白濑冰河”为由定名“白濑号”的结果。
纪念邮票
[编辑]1983年11月14日发行“白濑号”启航纪念邮票,设计为“企鹅与观测船白濑号”。纪念票上有“白濑船内邮局”与“昭和基地内邮局”的风景纪念章者,至今仍可以在市场上高价交易。
2009年推出的“极地保护”纪念邮票,虽然世界42国共同发行,但是没有发行新型“白濑号(2代)”启航纪念邮票。
此外在2007年1月23日发行的十件组纪念邮票“南极地域観测事业开始50周年”的第9枚,有“队员与観测船白濑号”的设计。
后续船舰
[编辑]白濑号第二代船舰是于2006年(平成18年)起,由Universal造船舞鹤事业所建造白濑号后继船舰,2008年4月16日举行命名式、下水仪式。(2007年动工、2009年5月20日完成。舰名直接继承“白濑号”)。
此外,在本舰退役后,2008年时所出发的第50次南极探险队时,曾借用过去有救出“白赖号”经验的澳洲民间破冰船Aurora Australis替补空缺。
除籍后
[编辑]2008年10月24日,日本政府的南极地域观测统合推进本部宣布放弃南极观测船“白濑”的保存展示计划,遂而准备进行船只解体。[5]。由于“白濑”在成为南极观测船以前既是自卫队船舰史上最大规模的大型船,因此可想而知的其退役后的展示船维持费用,也为其它旧型观测船而更高用[脚注 2]本部在了解此情形的状态之下,却也别无他,且白濑号作为自卫舰,也难以交由海上保安厅移管或是输出海外,所以不得不以废弃手段处理。
不过,推进本部官方表示会保存螺旋桨・锚・舰名看板等至少17项物品,并且准备在2009年秋天于海上自卫队佐世保史料馆开放展示[6]。此外,船内所使用的一部分沙发和椅子也会转移至正在名古屋港展示的“富士号”。
由于曾在昭和时期协训南极观测队的关系,北海道稚内市率先倡议保存计划,并且通过官方网站进行宣传,但是因为财政困难的关系,在2007年夏季取消了对于支持展示保存的自治团体的募集活动,计划因此胎死腹中。[7]。
2008年12月过后,尽管已经预计要开始着手解体,但是解体计划受到铁屑价格下跌影响而被迫取消,2009年6月19日,日本政府的南极地域观测统合推进本部决定再度进行公募,以寻求白赖号的保存或再利用。[8]。白濑号在此时期得以留驻于海上自卫队横须贺基地。
SHIRASE计划
[编辑]2009年11月9日、南极地域观测统合推进本部在同年1月,为“白濑号”除役后命运一事,因为考量“若拆除这艘船舰会相当可惜”、“希望能活用于气象、环境问题的情报宣传与讨论上”,遂而向文部科学省提案收购“白濑号”[9]、2009年1月27日发表了将船舰出售民间气象情报公司“Weathernews”的讯息[10]。白濑号因此作为环境情报宣传基地,得以进入“第二人生”。2010年2月10日,白濑号从海上自卫队移交给Weather News公司,并且由海上自卫队横须贺基地离港。期间先曳行至神奈川县横滨市中区的三菱重工业横滨制造所本牧工场入渠,已进行检查、用途变更、船体修缮工事作业,船名改为罗马拼音“SHIRASE”。这些过程原定于同年3月31日[脚注 3]白濑号随后被拖曳至千叶県船桥市船桥港(港则法上分类为千叶港葛南区)留驻[11]。
“しらせ”の舰番号“5002”にちなんで2010年5月2日から南极観测および気象観测の象徴として一般公开[12][13]。また、それに先立ち、一般公开前日の5月1日にはSHIRASEが系留されている船桥市の近邻住民・市职员・教育関系者向けに先行公开された[14]。5月2日に开催されたSHIRASEのグランドオープニングセレモニーには、同社社员や同社のウェザーリポーター约320人、国会议员、冒険家でSHIRASEの副KANCHO(舰长)[15]に任命されている三浦雄一郎など约500人が参加。同セレモニーでは、SHIRASE KANCHO[16]の宫部二朗同社代表取缔役副社长がシャンパンの瓶の形をした冰を割って、“第2の船出”を宣言した[17][18]。
ウェザーニューズでは船内の南极観测机器を居抜きで入手。2010年10月から同社グローバルアイスセンターを船内に移设して世界の冰のモニタリング业务を开始する。さらに、小型気象観测レーダー‘WITHレーダー’を设置し、首都圏のゲリラ雷雨や突风などをリアルタイムに観测する他、2010年顷に打ち上げ予定で东京大学・千叶大学・アクセルスペース共同开発の小型人工卫星‘WNI卫星(仮称)’から送られてくるデータを利用して[19]、世界各地の海冰の动きなどを観测する“WNI卫星管制センター”や东京湾・世界各地で発生した地震を観测・検证する“地象センター”を开始する予定となっている[20][21][22][23][24][25][26]。また、テレビスタジオや教育・会议施设などを开设・设置し、みんなで気候変动を考え、コンテンツを発信する场にしたいとしている。
2010年8月15日には同社の第24期株主総会(幕张メッセで开催)终了后に株主向けにSHIRASE体験乘船(株主以外に3名まで乘船可)を実施[27]。また、同年8月22日には“夏休みに环境问题を考えるきっかけに”とSHIRASEの亲子乘船会を开催した[28]。
なお、“しらせ”の购入代金约4千万円の他に改修に10亿円、年间维持费に1 - 2亿円かかるとされている。
また、このプロジェクトの中心となったウェザーニューズ创业者で代表取缔役会长・石桥博良が死去した际はお别れの会が“船出の会”という名称で2010年7月13日に本船船上にて行われた[29]。
2011年7月に、东日本大震灾の被灾地の人を元気づけようと、福岛県いわき市小名浜港でイベント开催[30]。
2013年9月2日に本船の所有権がウェザーニューズから同社関连団体であるWNI気象文化创造センターに移管された[31]。
2015年11月18日修缮のため4年ぶりに船桥港を出港し、三菱重工业横浜制作所のドックに入った。12月14日修缮を终え船桥港に帰着した。[32]
见学
[编辑]SHIRASEの见学・乘船は无料だが、事前の申し込みが必要になる[脚注 4]。SHIRASEが系留されている船桥港では、コンビナート岸壁周辺敷地への立ち入りが禁止されている为、関系者以外はSHIRASEに接近する事が出来ない。さらに船桥港周辺は、驻车禁止区域となっており、驻车场・驻轮场共にない。
2011年3月11日に発生した东日本大震灾の影响を受け、系留している船桥港周辺の液状化により乘船にあたっての安全性が见込めないことから、震灾当日以降の见学を一时的に中止した。また、この年10月の台风により対岸(习志野市茜浜)に系留していた船のロープが切れSHIRASEまで流れ着き、左舷にぶつかり损伤するという事态も起きた。その后、船桥港の液状化の舗装とSHIRASE左舷损伤の修缮を経て、2012年1月28日より再开する运びとなった。
一般见学再开にあたり、今までのJR京叶线新习志野駅駅前の千叶県国际総合水泳场付近に集合し、贷切バスで船桥港に向かうという形式であったが、见学再开にあたりウェザーニューズという会社を知ってもらうことも见学コースに含めることになった。そのため现在はJR京叶线海浜幕张駅駅前に、ウェザーニューズが入居している幕张テクノガーデンD栋2阶Cポート0号店前に集合し、受付・身份证明书による本人确认をした上で、ウェザーニューズの会社见学を行ってから、社有车で船桥港に向かう形式に変更された。
见学の日时は、おおむね隔周土曜日12:30の1回で10人程度で行われるようになった[33]。ウェザーニューズでは2010年4月26日から専用ホームページ(外部リンク参照)にて、同年5月5日以降の一般见学・乘船の事前申し込みを受け付けている[34]。なお、右舷の外観を眺めるだけであれば、近傍の饮食施设の窗际から望むことが可能[35]。
なお、前述のように2013年9月2日に本船の所有権がウェザーニューズから同社関连団体であるWNI気象文化创造センターに移管されているが、より公益性の高い取组みを进めていくための企画を検讨し推进するため従来から行ってきた一般乘船见学は当面见合わせるとしている。
舰长
[编辑]代 | 氏名 | 在任期间 | 前职 | 后职 |
---|---|---|---|---|
1 | 佐藤保 | 1982.11.12 - 1985.5.16 | 海上幕僚监部防卫部南极观测支援室长 →1981.12.2 横须贺补充部付 |
横须贺地方总监部付 →1985.8.1 第33护卫队司令 |
2 | 仓田笃 | 1985.5.17 - 1987.6.29 | 海上幕僚监部防卫部南极观测支援室 | 海上幕僚监部防卫部南极观测支援室长 |
3 | 本田守忠 | 1987.6.30 - 1988.7.31 | 白濑号副长 | 海上幕僚监部防卫部运用课南极观测支援室长 |
4 | 上垣毅 | 1988.8.1 - 1990.7.8 | 白濑号副长兼运用长 | |
5 | 齐藤公则 | 1990.7.9 - 1992.8.2 | 海上幕僚监部防卫部运用课 | |
6 | 久松武宏 | 1992.8.3 - 1994.7.31 | ||
7 | 加藤达雄 | 1994.8.1 - 1996.7.31 | ||
8 | 帖佐正和 | 1996.8.1 - 1998.5.14 | ||
9 | 茂原清二 | 1998.5.15 - 2000.5.14 | ||
10 | 石角义成 | 2000.5.15 - 2002.7.31 | ||
11 | 原口一之 | 2002.8.1 - 2004.7.6 | ||
12 | 大平愼一 | 2004.7.7 - 2006.7.2 | 海上幕僚监部防卫部运用课南极观测支援班长 | 佐世保海上训练指导队付 →2006.8.10“Oumi”舰长 |
13 | 小梅三津男 | 2006.7.3 - 2007.7.1 | 海上幕僚监部防卫部运用支援课南极观测支援班长 | 横须贺地方総监部付 →2007.8.10 横须贺地方总监部监察官 |
14 | 品川隆 | 2007.7.2 - 2008.7.30 | 横须贺基地业务队本部补充部付 →2008.9.12“Masyu”舰长 |
- 未特别注记阶级的舰长皆为1等海佐。
出典
[编辑]- ^ しらせ25年の历史 33项
- ^ 1980年防卫白书
- ^ 南极地域観测への参加及び南极地域観测统合推进本部の设置について 防卫省资料 2008年
- ^ しらせ25年の历史 3项
- ^ 読売新闻 2008年10月24日科学记事 互联网档案馆的存档,存档日期2008年10月26日,.
- ^ 読売新闻 2008年10月25日13版37面
- ^ ‘南极観测船“しらせ”诱致キャンペーン’ 互联网档案馆的存档,存档日期2008年4月14日,. - 稚内市
- ^ ‘先代“しらせ”の后利用に系る再公募について’ 互联网档案馆的存档,存档日期2009年6月21日,. - 文部科学省 2009年6月19日
- ^ ‘気象会社がしらせ购入に名乘り’ - 千叶日报 2009年1月27日
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- ^ ‘先代“しらせ”5月に一般公开 补修终え千叶に到着’ 互联网档案馆的存档,存档日期2010年4月4日,. - 产経新闻 2010年3月31日
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‘南极観测船:先代“しらせ”、船桥港に入港 地球环境モニタリング拠点に /千叶’ - 毎日新闻 2010年4月1日
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- ^ 2010年5月1日放送‘weathernews LiVE’より
- ^ ‘先代南极観测船‘しらせ’ 一般公开始まる:千叶’ - 东京新闻(中日新闻东京本社) 2010年5月3日
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‘SHIRASE“第2の船出”计画’ - 株式会社ウェザーニューズ - ^ ‘南极観测船しらせ、気象情报会社に引き渡し’ - 朝日新闻 2010年2月10日
‘退役“しらせ”、环境基地に=海自横须贺基地を出港’ - 时事通信 2010年2月10日 - ^ ‘“しらせ”が気象会社に引き渡され、第二の船出/横须贺’ 互联网档案馆的存档,存档日期2010年2月22日,. - 神奈川新闻 2010年2月10日
- ^ ‘南极観测船:“しらせ”、気象情报会社へ--海自横须贺基地 /神奈川’ - 毎日新闻 2010年2月11日
- ^ ‘“地球环境”の交信・共创の场を目指して、SHIRASE第2の船出’ - 株式会社ウェザーニューズ 2010年2月12日
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- ^ ‘环境をテーマにした夏休み特别企画 SHIRASEで亲子乘船を実施’ - 株式会社ウェザーニューズ 2010年8月23日
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‘SHIRASEで环境学ぶ’ - 千叶日报 2010年8月23日 - ^ ‘【葬送】ウェザーニューズ创业者 石桥博良さん’ 互联网档案馆的存档,存档日期2010年7月19日,. - 产経新闻 2010年7月13日
- ^ 小名浜(福島)発、被災地の皆さんとともに元気を 元南極観測船SHIRASE 小名浜港で復旧・復興を7日間支援 ~ 乗船体験、津波シンポ、津波レーダー設置、環境観測など ~. weathernews.com. 2011-06-24 [2011-07-12].
- ^ SHIRASE乘船のお申込み|SHIRASE Official Website 互联网档案馆的存档,存档日期2013年10月25日,.
- ^ [1] SHIRASEのお知らせ
- ^ ‘SHIRASE 乘船について - よくあるご质问’ 互联网档案馆的存档,存档日期2010年5月5日,. - 株式会社ウェザーニューズ
‘“SHIRASE”船桥で一般公开’ - 朝日新闻 2010年5月3日 - ^ ‘船桥港に31日到着 5月2日に一般公开へ 民间譲渡の南极観测船’ - 千叶日报 2010年3月26日
‘SHIRASEの一般乘船予约がいよいよスタート!’ - 株式会社ウェザーニューズ 2010年4月27日
‘SHIRASE第二の船出 5日から一般乘船 船桥’ - 千叶日报 2010年5月3日 - ^ http://r.gnavi.co.jp/g175401/
脚注
[编辑]关联项目
[编辑]- 初代南极观测船 宗谷
- 二代目南极观测船 富士
- 四代目南极观测船 白濑号(2代)
- 昭和基地
- 馆山航空基地
- 船内邮便局
- 南极观测船
- 破冰船
- 研究船
- 国立极地研究所
- 气象新闻公司
- SOLiVE24
外部リンク
[编辑]- 海上自卫队の使用する船舶の区分等及び名称等を付与する标准を定める训令PDFPDF海上自卫队训令第30号(昭和35年9月24日)
- SHIRASE - “地球环境”の交信・共创の场へ - ウェザーニューズ
- SHIRASE(しらせ) - ウェザーニューズ
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