真岡藩
真岡藩 | |
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日語漢字 | 真岡藩 |
平假名 | もおかはん |
羅馬拼音 | Mooka-han |
創藩日期 | 慶長6年(1601年) |
所在地 | 日本下野國芳賀郡真岡 |
藩廳 | 真岡城 |
大名家 | 淺野家 堀家 稻葉家 |
廢藩日期 | 寬永9年11月23日(1633年1月3日) |
廢藩理由 | 轉封 |
真岡藩(日語:真岡藩/もおかはん Mooka-han */?)是位於日本下野國芳賀郡真岡(現栃木縣真岡市)的藩,慶長6年(1601年)創藩,寬永9年11月23日(1633年1月3日)廢藩。藩高峰期的石高是40,000石,藩廳是真岡城[1][2]。
歷史
[編輯]慶長6年(1601年),淺野長重以20,000石入主真岡而創藩,任內在田町(現真岡市田町)豎立高札,並對荒町(現真岡市荒町)和下町實施町割[1]。慶長16年4月7日(1611年5月19日)[3],長重之父淺野長政死去,他便繼承其父在常陸真壁的50,000石領地,取而代之真岡由長政的女婿堀親良以12,000石入主。元和4年6月22日(1618年8月12日),近藤政成死去,由於其子近藤重直尚幼,僅獲准繼承其父10,000石領地中的5,000石,重直的伯父親良則拜領剩餘的美濃國山縣郡內5,000石,並且擔任重直的後見人,真岡藩的石高也升至17,000石。親良在任內於荒町興建橫町,同樣着手於對城下町實施町割[1][4]。
寬永4年3月16日(1627年5月1日),親良獲加增至下野烏山25,000石,與此同時真岡由原為松平忠昌御附家老的稻葉正成以20,000石入主[1][5]。翌年9月17日(1628年10月14日),正成死去[6],真岡20,000石由其子稻葉正勝繼承,由於正勝原本已領有常陸國新治郡柿岡5,000石、真壁郡5,000石以及佐野10,000石[註 1],因此他以40,000石入主真岡[1]。寬永9年11月23日(1633年1月3日)[9],正勝由於在肥後熊本的加藤忠廣流放至出羽國後,作為正使前往熊本處理事務,因此獲加增至相模小田原85,000石,《藩史大事典》認為這次加增是源於其母春日局在大奧的權勢所致。真岡藩也就此廢藩,原藩領變成小田原藩的飛地,天明3年(1783年)後為幕府領[1]。
歷任藩主
[編輯]大名家 | 家格 | 藩主 | 石高 | 藩領 |
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淺野家 | 外樣 城持 |
淺野長重 | 20,000石 | 下野國芳賀郡 |
堀家 | 譜代 城持 |
堀親良 | 12,000石 ↓ 17,000石 |
下野國芳賀郡 ↓ 下野國芳賀郡美濃國山縣郡 |
稻葉家 | 稻葉正成 | 20,000石 | 下野國芳賀郡 | |
稻葉正勝 | 40,000石 | 下野國芳賀郡和安蘇郡 常陸國新治郡和真壁郡 |
領地
[編輯]令制國 | 郡 | 領地 |
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下野國 | 芳賀郡 | 荒町、飯貝村、大島村、沖杉新田、上大田和村、君島村、京泉村、桑野川村、小林村、島村、下大田和村、高岡村、高田村、田島村、田町、台町、中鄉村、西鄉村、西沼村、根本村、八條村、東鄉村、東田井村、東沼村、物井村、塙村、山本村、堀內村、真岡町 |
安蘇郡 | 戶室村、栃本村、新吉水村、吉水村、葛生村、小見村、上彥間村 | |
常陸國 | 新治郡 | 柿岡村 |
真壁郡 | 青木村 |
註解
[編輯]參考資料
[編輯]- ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 大木茂. 真岡藩. 木村礎、藤野保、村上直 (編). 藩史大事典 関東編 2 POD版. 雄山閣. 2002-04-15: 207–208. ISBN 4-639-10036-1 (日語).
- ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 竹內理三、北原進、杉山博、竹內誠、所理喜夫、西垣晴次、大町雅美、小西四郎、長倉保、峰岸純夫 (編). 真岡藩・佐野. 角川日本地名大辞典 栃木県. 角川日本地名大辭典 9 日本文学Web図書館. 角川書店. 1984-12-08. ISBN 4-040-01090-6 (日語).
- 荒町・飯貝・大島・沖杉新田・上大田和・君島・京泉・小林・島・下大田和・高岡村・田島・田町・台町・中郷・西郷・西沼・根本・八條・東郷・東田井・東沼・物井・横田・真岡. 真岡市.
- 戸室・栃本・新吉水・吉水・葛生・小見・上彦間. 佐野市.
- 塙・山本. 益子町.
- ^ 浅野長政. kotobank (日語).
- ^ 信濃高井郡、美濃安八郡等の邑主近藤政成卒す、尋で、幕府、其子百千代、「重直、」幼なるを以て、遺領一万石の内信濃川中島五千石を与へて、寄合に列し、五千石を伯父下野真岡邑主堀親良に加増し、百千代の後見と為す. 東京大學史料編纂所. [2022-11-30]. (原始內容存檔於2022-11-30) (日語).
- ^ 幕府、下野真岡邑主堀親良を同国烏山に移し、封八千石を加へて、二万五千石と為し、越前福井城主松平忠昌の旧傳稲葉正成に、下野の地二万石を与へ、真岡に治せしむ、. 東京大學史料編纂所. [2022-11-30]. (原始內容存檔於2022-11-30) (日語).
- ^ 稲葉正成. kotobank (日語).
- ^ 幕府、年寄常陸真壁城主稲葉正勝に、上野佐野の地一万石を加へ、二万石を領せしむ. 東京大學史料編纂所. [2022-11-30]. (原始內容存檔於2022-11-30) (日語).
- ^ 村上直. 小田原藩. 兒玉幸多、北島正元 (編). 物語藩史 2. 人物往來社. 1964-11-01: 426–427 [2022-11-30]. 國立國會圖書館書誌ID:000000851602. (原始內容存檔於2022-11-30) (日語).
- ^ 幕府、常陸真壁城主稲葉正勝を相模小田原に移し、四万五千石を加増して、八万五千石と為し、箱根関を守らしむ、. 東京大學史料編纂所. [2022-11-30]. (原始內容存檔於2022-11-30) (日語).
- ^ 寶月圭吾、柿沼薰、河內八郎、新川武紀、德田浩淳、中里魚彥、日向野德久、前澤輝政、渡邊龍瑞 (編). 栃木県の地名. 日本歷史地名大系 9 JapanKnowledge. 平凡社. 1988-08-25. ISBN 4-582-49009-3 (日語).
- 荒町・飯貝村・大島村・沖杉新田・上大田和村・君島村・京泉村・小林村・島村・下大田和村・高岡村・田島村・田町・台町・中郷村・西郷村・西沼村・根本村・八条村・東郷村・東沼村. 真岡市.
- 桑野川村・高田村・東田井村・物井村・横田村. 芳賀郡.
- ^ 竹內理三、北原進、杉山博、竹內誠、所理喜夫、西垣晴次、志田諄一、佐久間好雄、秋山高志 (編). 青木・柿岡藩. 角川日本地名大辞典 茨城県. 角川日本地名大辭典 8. 角川書店. 1983-12-08. ISBN 4-040-01080-9 (日語).