萩本欽一
外觀
萩本 欽一 | |
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男藝人 | |
本名 | 萩本 欽一 |
暱稱 | 欽ちゃん、大將 |
國籍 | 日本 |
出生 | |
職業 | 搞笑藝人、演員、主持人、導演 |
教育程度 | 駒込高等學校 |
配偶 | 萩本澄子 (1976年結婚—2020年喪偶) |
代表作品 | 超級變變變 |
活躍年代 | 1964年至今 |
經紀公司 | 淺井企劃、佐藤企劃、萩本企劃 |
日語寫法 | |
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日語原文 | 萩本 欽一 |
假名 | はぎもと きんいち |
平文式羅馬字 | Hagimoto Kin'ichi |
萩本欽一(1941年5月7日—)是日本男搞笑藝人、主持人、導演。東京都台東區出身,曾經是日本棒球聯盟茨城GOLDEN GOLDS的第一代教練。萩本因主持長壽節目《超級變變變》而在華語圈獲得知名度。
綽號
[編輯]由於大眾化的影響、同時又是藝能界的先輩,後輩間習慣以「阿欽」(欽ちゃん)稱呼。其他的愛稱有:「萩モー」「萩」「欽坊」「欽様」等。
又稱「收視率100%之男」。
家庭來歷
[編輯]他父親在東京市下谷區稻荷町開設一家照相機製造販賣店,略為成功後到埼玉縣浦和市買房;但在1952-1953年間(荻本欽一在小學5年級時),因低價照相機的開賣使店裡販賣不振,而再次搬回稻荷町的住處。接下來在1956年時(荻本欽一中學3年級時),轉居於文京區丸山町的極貧生活。隨後這個家庭"解散",他的父母返回香川縣居住。
人物
[編輯]親族
[編輯]演出作品
[編輯]電視(單獨演出的節目)
[編輯]- スター誕生!(1971〜1980、司會、日本テレビ)
- 女・おとこ(1971年10月21日~11月18日、NET現・テレビ朝日)
- シークレット部隊(1972年4月7日、TBSテレビ/第1回)[2]
- 日本一のおかあさん(1972〜1976、司會、TBSテレビ)
- オールスター家族対抗歌合戦(1972〜1984、司會、フジテレビ)
- シャボン玉ボンボン(1973年、日本テレビ)
- 欽ドン!(1975〜1980、1981〜1986、フジテレビ)
- 欽ちゃんのドンとやってみよう!
- 欽ドン!良い子悪い子普通の子(おまけの子)
- マイルド欽ドン!
- 欽ドン!お友達テレビ
- 欽ドン!ハッケヨーイ笑った!
- 欽ちゃんのどこまでやるの!?(1976~1986、テレビ朝日)
- 欽ちゃんのドーンと24時間(1977、フジテレビ)
- 欽ちゃんの向こう三軒両隣(1977年、TBSテレビ)
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」(1978〜1980年は総合司會、1981年〜1984年はチャリティーパーソナリティー、1986〜1989年、1992年、1997年、2005年、2008年、2009年、2011年〜は主要出演者の1人として參加、2007年はチャリティーマラソンランナー、日本テレビ)
- 欽ちゃんドラマ・Oh!階段家族!!(1979年、日本テレビ)
- 欽ちゃん劇場・とり舵いっぱーい!(1979年、日本テレビ)
- 超級變變變(1979年至今、主持人、日本テレビ)
- 欽ちゃんの全日本爆笑CM大賞(1982〜1983、日本テレビ)
- 欽ちゃんの9時テレビ(1980〜1981、フジテレビ)
- 欽ちゃんの週刊欽曜日(1982〜1985、TBSテレビ)
- たみちゃん(ドラマ、1984年、テレビ朝日)
- 日曜9時は遊び座です(日本テレビ)
- TVプレイバック(1985〜1989、司會、フジテレビ)
- ドキド欽ちゃんスピリッツ!!(1986、TBSテレビ)
- 欽ちゃんの気楽にリン(1988年、日本テレビ)
- 欽きらリン530!(1988年、日本テレビ)
- 欽ちゃんのどこまで笑うの?!→欽どこTV!!(1988年、テレビ朝日)
- 欽ちゃん走るッ!(1991年、フジテレビ)
- 悠々くらぶ(1991〜1994、NHK)
- よ!大將みっけ(1994〜1995、フジテレビ)
- 連続テレビ小説 ひまわり(1996年、NHK) ※ナレーター/南田家の犬・リキの聲
- サザエさん パート6(1996年、フジテレビ)
- 欽ちゃんとみんなでしゃべって笑って(1998〜2002、NHK)
- キンさばっ!! -近所の裁き-(2008〜2011年、三重テレビ)
- 欽ちゃんのワースト脫出大作戦→欽ちゃんのがんばる!日本大作戦(2010年〜、司會、NHK)
- 欽ちゃんのニッポン元気化計畫(2011年〜、三重テレビ)
- 火曜エンタテイメント!欽ちゃんスペシャル(2009〜2010、テレビ東京)
- 悪いのはみんな萩本欽一である (2010年3月27日、フジテレビ「チャンネルΣ」) - 映畫監督の是枝裕和が映像を手掛けた、フジテレビ獨自によるバラエティ検証番組[3]
- 欽ちゃん!30%番組をもう一度作りましょう(2011年7月22日、日本テレビ「金曜スーパープライム」) - 同年7月24日のアナログ放送終了→デジタル完全移行を記念して放送された特番[4][5]
- ニッポン美味しい笑顔紀行〜東日本ギョギョうま編〜 (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)(2012年2月19日 - 3月18日、BS-TBS)
- プレミアムドラマ 欽ちゃんの初戀(2012年8月19日、NHK BSプレミアム)
- ザ・テレビっ子 TV60年「懐かし番組」大集合!(2013年8月22日、NHK BSプレミアム) ※加藤茶と対談
- 熊野古道 お伊勢さんからもうひとつの聖地へ(2014年3月 - 12月、全10回、三重テレビ) ※ナレーション
電台節目
[編輯]- どちら様も欽ちゃんです(1972年4月〜1972年9月、ニッポン放送)
- 欽ちゃんのドンといってみよう(1972年10月〜1979年4月、ニッポン放送)
- ラジオ・チャリティー・ミュージックソン(パーソナリティとしては1975〜1985年、2008年、ニッポン放送)
- 欽ちゃんのここからトコトン(1979年10月〜1984年3月のうち、ナイターオフ期間(10月〜3月)のみ、ニッポン放送)
- ニュースワイド 欽ちゃんのもっぱらの評判(1987年10月〜1988年3月、ニッポン放送)
- 欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤(2007年10月〜2008年3月、ニッポン放送)
- ミュージックメモリー(NHK-FM 2008年5月18日・25日放送分でゲスト出演。)
- 欽ちゃんのドンといってGO!GO!(2008年10月〜、土・21:00〜21:30)
- はかま満緒の話しのネタ(2010年3月8日・15日ラジオ日本-ゲスト)
- ラジオ深夜便「萩本欽一の人間塾」(2014年4月 - 、月1回、NHKラジオ第1放送・NHK-FM放送サイマル放送 ホスト)
動畫
[編輯]- 超級無敵掌門狗(ウォレス役 聲の出演)
電影
[編輯]- 手(1969年)
- 俺は眠たかった!!(1970年 淺井企畫・松竹)…製作・監督・腳本・音楽・主演
- がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征- - 本人役(1978年)
- 第1回 欽ちゃんのシネマジャック(1993年)
- 第2回 欽ちゃんのシネマジャック(1994年)
- 月(2000年) - 富田良作役
- タッチ(2005年・東寶)
- ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!(聲の出演 2006年)
代言
[編輯]電視廣告
[編輯]- サクラカラー24(小西六寫真工業 1976年、「どっちが得かよーく考えてみよう」のコピー)
- サラダ一番(森田あられ)
- 金ちゃんヌードル、金ちゃん焼そば、共に1973年~1975年頃、(徳島製粉)
- 霧ヶ峰(三菱電機)
- バスクリン(津村順天堂、『I LOVE 湯(ユー)LOVE バスクリン』のコピー)
- カルピス
- アクサ生命
- 全國法人會連合會
- 公共職業安定所(ハローワーク)
- 江崎グリコ(1984年・企業、「I LOVE GLICO」のコピー)
- 日本可口可樂(ジョージア 2007年12月〜、舘ひろしと共演)
- 東京都「TOKYO2016」(2008年〜2009年。2016年東京オリンピック招致キャンペーン)
- 總務省・Dpa「地デジ化応援隊」(2010年7月〜2011年)
- 日本電視台「がんばろう!ニッポン」(2011年3月20日〜、東日本大震災被災者支援のための3秒スポット)
電腦遊戲
[編輯]著作一覽
[編輯]著書
[編輯]- 欽ちゃんつんのめり
- 欽ちゃんのはにかみ人間學―どうしてオレってばかなんだろう
- 欽ちゃんどこまで書くの
- 欽ちゃんの愛の世界45―一日一語で幸せづくり
- とっておき十話
- テレビに戀して20年
- 「笑」ほど素敵な商売はない
- まだ運はあるか
- 快話術―誰とでも心が通う日本語のしゃべり方
- 欽ちゃんの人生コントだよ!!
- 人生にはチャンスが三度ある―成功する人の演出力
- ユーモアで行こう!(男のVシリーズ)
- なんでそーなるの!―萩本欽一自伝
- 欽言力
- 人生が楽しくなる気持ちのいい日本語
- 野球愛
- ダメなときほど運はたまる 〜だれでも「運のいい人」になれる50のヒント〜(ISBN 978-4-331515150)
- 欽ドン(欽ちゃんのドンといってみよう!の番組で紹介されたネタを収録した本)1巻〜6巻
連載文章
[編輯]- 芸道54年 笑いと涙のドラマがいっぱい! 萩本欽一の「人生ってめぐり愛だよね」(『週刊アサヒ芸能』2013年7月11日號より、現在も連載中)
Record
[編輯]- 何処かにお前が/手のテーマ(1970年2月)‐映畫「手」サウンドトラックより
- あーねむいなあー(深夜放送の為のボサ・ノバ/君は小さな戀人(1970年9月)‐映畫「俺は眠たかった」より
- 山に登れば/今がチャンス(1972年9月)
- 拝啓おかあさん/あんちくしょうの唄(1975年7月)
- 妻は夫をいたわりつ/欽一・順子の子守唄(1978年5月)共演真屋順子‐テレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの」より
- 「欽ちゃんの」渡り鳥だよ/同カラオケ(1978年11月)‐フジテレビ「欽ちゃんのドンとやってみよう」より
CD
[編輯]- コント55號黃金時代(キング、KICS2183)
關聯項目
[編輯]- 坂上二郎
- 欽ちゃんファミリー
- 萩本企畫
- 茨城ゴールデンゴールズ(萩本がオーナーと監督を務めた野球チーム)
- 宮崎ゴールデンゴールズ
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」
- 常田久仁子(元フジテレビプロデューサーで、「欽ドン!」のプロデューサーを務めた人物。萩本も母のような人と慕っていた。2010年11月3日逝去[6][7]。)
- 大橋巨泉(テレビ東京『火曜エンタテイメント!欽ちゃんが芸能界の大御所の家に行っちゃいましたSP』において、実家が同業による知り合いで、萩本が大橋の実家で製作された希少品カメラ「ロールライト」を所有)
腳注
[編輯]- ^ 家業はカメラ屋。『あの日あの時母の顔―私の母語り』 小學館 1996年 104頁
- ^ 萩本欽一にとっては、芸能生活で唯一の悪役(犯罪者を演じた)での出演であった。
- ^ 存档副本. [2010-03-26]. (原始內容存檔於2010-03-26).
- ^ 欽ちゃん30年ぶりコント!アナログ最後の金曜特番で30%超挑戦. スポーツ報知. 2011-06-16. (原始內容存檔於2012-05-23).
- ^ 欽ちゃん!30%番組をもう一度作りましょう(仮)番組ホームページ 網際網路檔案館的存檔,存檔日期2015-05-21.
- ^ 常田久仁子さん死去 「欽ドン」など製作 網際網路檔案館的存檔,存檔日期2013-05-21. - サンケイスポーツ、2010年11月9日
- ^ 萩本欽一「母」に感謝の涙「別の人間にしてくれた」 網際網路檔案館的存檔,存檔日期2010-11-30. - スポーツニッポン、2010年11月27日