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赤城神社 (新宿区)

坐标35°41′36.7″N 139°42′18.5″E / 35.693528°N 139.705139°E / 35.693528; 139.705139
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35°41′36.7″N 139°42′18.5″E / 35.693528°N 139.705139°E / 35.693528; 139.705139

赤城神社
赤城神社あかぎじんじゃ Akagi Jinja
赤城神社(2013年6月27日摄影)
基本信息
位置 日本东京都新宿区赤城元町1丁目10番
宗教神道
主祭神岩筒雄命[1]、赤城姫命
例祭9月19日[1]
社格乡社
建筑详情
本殿构造流造
建立时间传正安二年(1300年[1]
地图
地图

赤城神社(あかぎじんじゃ)是位于东京都新宿区赤城元町神社明治维新之前称为赤城大明神赤城明神社

祭神

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主祭岩筒雄命(いわつつおのみこと)与相殿的赤城姬命(あかぎひめのみこと)。

岩筒雄命是由火神迦具土神所生,经津主神之亲神。赤城姬命一说是创建神社的大胡氏之女,也有人说是别当寺东觉寺的本地佛

由绪

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据传是镰仓时代正安2年(1300年),由上野国赤城山麓移居到牛込的大胡彦太郎重治创建于牛込早稻田的田岛村[1] [注释 1]文安元年(1444年)奉纳大般若经[2]寛正元年(1460年),筑江户城太田道灌将其移至牛込台[1][注释 2]。其后弘治元年(1555年),大胡宫内少辅再移动至现在地[1]江户时代德川幕府将其列为江户大社之一,成为牛込镇守且香火鼎盛。

‘江户名所图会’中称其为“赤城明神社”,并由大胡重泰(おおごしげやす)创建[注释 3],牛込镇守的别当寺则记录为东觉寺(天台宗)。

历史

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年表

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  • 正安2年(1300年):大胡彦太郎重治由上野国赤城神社分灵,创建于牛込早稻田的田岛村。
  • 寛正元年(1460年):太田道灌将其迁至牛込台。
  • 弘治元年(1555年):大胡宫内少辅将其迁至现在地。
  • 天和3年(1683年):江户幕府列其入江户大社。
  • 天保13年(1842年3月7日:火灾,社殿全烧。之后再建。
  • 明治元年(1868年):明治维新时,社名改为赤城神社
  • 明治6年(1873年):列入乡社
  • 明治9年(1876年):横寺町的北野神社(朝日天满宫)作为境内社迁入。
  • 昭和20年(1945年4月13日太平洋战争,社殿全烧。
  • 昭和26年(1951年)10月:本殿再建。
  • 昭和34年(1959年)5月:拜殿・币殿再建。
  • 昭和37年(1962年)10月:境内社的出世稻荷神社社殿再建。
  • 平成17年(2005年)10月:战争时烧毁的境内社北野神社,作为萤雪天神再兴[3]
  • 平成20年(2008年)3月:位于神社旁,资金面上提供支援的私立赤城幼稚园闭园。
  • 平成22年(2010年)9月:“赤城神社 再生计画”完成,建物也进行了改建。
  • 平成23年(2011年)10月:荣获2011年度好设计奖

再生计画

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平成21年(2009年)至22年间进行了“赤城神社 再生计画”工程。计画中将老化的社殿全部重建,神社内附设的幼稚园(私立赤城幼稚园)因少子化而闭园。若要完全开发这些土地,在建筑成本上神社方面难以负荷。 因此神社便与三井不动产住宅进行合作,设定了约70年的租借权向神社租用土地[4],在神社重建时馀下的土地则新建公寓,大楼内并设了画廊、大厅等设施[5]。土地租金也能充实神社的营运[6],至年限到期时公寓预计将会解体,并重新变回神社地。

神社设计监修由居住于神乐坂氏子[7],建筑师隈研吾担任。公寓的内外做了与神社调和的工法,神社内的既存树木也进行了一部分的保存、活用。关于设计这点,三井不动产住宅方面表示是隈研吾建筑师本人愿意出力帮忙[8]。神社再生计画在2011年度好设计奖中,荣获住宅部门与商业解决方案部门两项奖项[9]

境内社

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出世稻荷神社
祭神为宇迦御魂命保食命。牛込赤城元町镇守。
萤雪天神
祭神为菅原大神。因战争而烧毁的北野神社,经由同样位于牛込的出版社“旺文社”捐款而再兴。萤雪天神之名来自“萤雪时代”,主要祈求考生考运昌隆。

氏子地域

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交通

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脚注

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注释

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  1. ^ 実际には、大胡氏の牛込移住は15世纪末(室町时代)であると推定されている。なお、大胡氏は后に牛込氏と改姓した(‘江戸名所図会でたどる 新宿名所めぐり’28页)。
  2. ^ この移転后の迹地には“元赤城神社”が建てられている。
  3. ^ 重泰の名は“牛込氏系図”にない。また、神社に伝わる创建者の名は大胡重治である。

出典

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  1. ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 东京都神社庁.
  2. ^ 东京都新宿区教育委员会 1976,第3-10页
  3. ^ 神楽坂の赤城神社「合格祈願の新名所に」. 読売新闻. 2005-12-30 [2013-10-20]. (原始内容存档于2008-01-26). 
  4. ^ 東京メトロ神楽坂駅徒歩2分・赤城神社の建替えと一体的に開発 定期借地権付き分譲マンション(借地期間約70年)「パークコート神楽坂(総戸数78戸)」11月6日(金)第1期販売開始. 三井不动产. 2009-11-04 [2011-10-07]. (原始内容存档于2016-04-13). 
  5. ^ 神楽坂・赤城神社がマンション型の神社へ-建物内にギャラリーも. 市谷経済新闻. 2008-09-04 [2009-02-10]. (原始内容存档于2020-07-25). 
  6. ^ 採用情報:プロジェクトストーリー・パークコート神楽坂. 三井不动产レジデンシャル. [2013-10-20]. (原始内容存档于2013-05-31). 
  7. ^ 神楽坂・新「赤城神社」の全容明らかに-デザインは氏子の隈研吾さん. 市谷経済新闻. 2009-02-23 [2011-10-07]. (原始内容存档于2021-01-15). 
  8. ^ 採用情報:プロジェクトストーリー・パークコート神楽坂. 三井不动产レジデンシャル. [2013-10-20]. [失效链接]
  9. ^ ~三井不動産グループ12年連続グッドデザイン賞受賞~【2011年度グッドデザイン賞】「赤城神社・パークコート神楽坂」柏の葉キャンパスシティ 都市型市場「マルシェコロール」など過去最多6部門10プロジェクト受賞. 三井不动产. 2011-10-03 [2011-10-07]. (原始内容存档于2016-04-15). 

参考文献

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  • 东京都新宿区教育委员会 (编), 新宿区文化財総合調査報告書2, 东京都新宿区教育委员会, 1976 
  • 新宿历史博物馆编集‘江戸名所図会でたどる 新宿名所めぐり’(财)新宿区生涯学习财団 2000年
  • 赤城神社【赤城さん】. 东京都神社庁. [2020-06-10]. (原始内容存档于2015-04-30). 

关联文献

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外部链接

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